文久山 妙見寺

当山は身延山直末で日蓮宗 文久山 妙見寺と称する。
開基となった田中宇助氏が、遥か熊本より加藤清正公像を奉じて諸国を巡礼し、
文久元年(一八六一年)の春頃、この地へ来られ、庵を結び、
「題目堂」と名付けた事が当寺のはじめと伝わる。
そして縁あって身延山より是妙尼を迎えて初祖とした。
これが後の本乗院日行法尼である。以来、第二祖 是好院日明法尼と続いた。
また日達法尼の時、大阪は能勢より妙見大士の御分身を請けて奉祀し、妙見寺と改めた。
戦前は境内地五〇〇坪を有して、本堂及び妙見堂が建てられていたが、
昭和十九年の県・市道拡張の折に三〇〇余坪を削られた。
この為、本堂を取り壊し、妙見堂を移して本堂とした。

かつての妙見寺

妙見寺は押切交差点角地に長く在り、
以前は木造二階建てのお寺でありました。
中庭には小さいながらも池があり、
茶室もございました。
老朽化により建物は解体せざるを得ませんでしたが、
現在もかつての山門に使われていた彫刻など、
一部を残しております。

年中行事
令和五年(二〇二三年)

元旦~一月三日   新春ご祈祷会
三月十九日(日)  春季彼岸会施餓鬼法要
四月八日(土)   清春稲荷ご祭礼・花まつり
五月十五日(月)  妙見大菩薩ご祭礼
七月十三日~十五日 新盆(七月盆)
七月三十日(土)  盂蘭盆施餓鬼法要
八月十三日~十五日 旧盆(八月盆)
九月二十四日(日) 秋季彼岸会永代祠堂施餓鬼法要
十一月二日(月)  招福金槌大黒ご祭礼
十一月十二日(日) 日蓮聖人ご報恩御会式法要

古来、人々は古墳を築き、塔を建て、死者を埋葬してきました。その行為には様々な意味が込められていました。安らかに眠って欲しい。お参りをする事で、また亡くなった人に会いに行ける。愛する人や恩ある人を想い、時を過ごしたい。その気持ちがあるからこそ、人々は墓を建て供養をしてきたのです。現在、お墓を建てるには高額がかかり、経済的に難しい方がいらっしゃるのも事実です。また、高齢化の時代に突入し、少子化が進んでいます。
お墓は欲しいが費用がかかり過ぎる、跡継ぎがいない等、沢山の方が不安や悩みを抱えておられます。納骨堂が求められる理由がここにあります。
妙見寺は幕末より続く寺院であり、交通至便な都会の中にあり、天候を気にせず、気軽にお参りいただくことができます。お年を召された時に、特にその安心をご実感いただくことができるでしょう。また、例え絶家しても永代供養塔に入り供養が受けられます。
お寺は本来、法事や葬式を行うだけでなく、人々の様々な悩みに共に悩み答え、心の拠り所となり、文化の交流や発信の場でもありました。寺院離れが進んでいる現代、私は今一度お寺のあり方を見直していきたいと考えています。
どうぞお気軽に妙見寺にお越し下さい。皆様のご来寺を心よりお待ち申し上げております。  合掌

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